2006年9月11日月曜日

農業問題は国民一人一人の問題として議論する必要がある(大泉一貫)……賛成!



以前に褒めて頂いた大泉一貫先生のブログを読んでいると、別の記事でもお褒め頂いている;
今日の一貫:余丁町散人が評価してくれた『ニッポンのコメ』: "この方、もはやそんじょそこらの農業経済学者など足元にも及ばないぐらいの農政のプロですよ。"
うれしいな。散人は農政には詳しくないけれど、本質を見抜く勘だけは昔からいいのです。

昔から傍目八目といい、部外者の方が真実を見えることもあるのです。このくだりには全く賛成です:
余丁町散人の農業問題のコメントはなかなかに向こう受けします。
農業の問題はそれを特定グループだけでしか議論できないことにあります。それは彼らが農業界に自分の居場所を確保したいという保身があるからで、タブーに なかなか切り込めない状況となっています。族議員ならぬ族学者、族評論家が跋扈し(ま〜これはどこでもそうか)、御用学者の方がまだましな世界。

仲間内で議論しているから、ますます中身は内向き複雑怪奇に、言語もジャーゴン化し、論点も不明確に。つきつめれば、「農業団体(彼らはこれを農民はとい い変えている)は、幾ら予算(補助金)をもらえるのか?」につきるという非常に身も蓋もない構図なのですが、そのためには非常にわかりにくいロジックや言 語を使わざるをえあないということ。要するに煙幕を張って普通の人はついてこれない世界を作ればいいのです。
国民的に農業問題を議論しようとすると、生協のおばちゃん達の、「かわいそうな農民」認識が頭をもたげじゃまをしてしまうし、あるいは、「複雑そうだし、 よく分からない」から議論をしない、人を増殖させることにもなります。どうせ農林予算なんて3兆わってるじゃないか、、、と無視かあきらめが現状でしょう か。

最後の「農林予算なんて3兆円わっている……」と普通の人が無視している(だから問題だ)というくだりについて補足:

確かに農林予算そのものは小さいかも知れないけれど、国民経済全体としては「多大の」負担をしているということ。日本の名目GDPは約500兆円。そのうち 個人消費は約300兆円。そのうち100兆円ぐらいが食費(含む外食費)に回るとして、国民は国際価格よりはるかに高い食料品を買わされることで食糧生産 者への実質的な「補助」をしていることが往々にして忘れ去られているのです。価格を通じた財政数字には現れない都市から農村への所得移転金額です。食料品 価格は平均して国際価格の倍として、目の子で50兆円のお金が農水関係者に余分に回ることになる。それに加えて、サラリーマンがマイホームを買うために地 主にぶんだくられる法外な土地の値段もあります。普通のサラリーマンで生涯収入のうち5000万円程度は彼らに余分にぶんだくられる計算になるんじゃない かな。

大泉先生の言われるように、この問題は「国民的議論」が必要だと思う。国民一人一人の財布にかかわることだから。

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